皆様、こんにちは。

いろはや本店の中山です。

今日も酷暑が続いておりますが、皆様体調にはお変わりありませんか?

実は、(株)いろはやが県の広報誌9月号に掲載されました👏

 

 

めったにない事なので、こちらで紹介させてもらいました。

ご家庭に広報誌が配布されたら、よかったら見てみてくださいね。

 

それから、最近うちの社長が

「創業160余年の老舗ローカル企業の新たなる挑戦」として

5代目社長の奮闘記を掲載しております😊

 

お客様にも会社のことをもっと知って頂きたいのでこの場を借りて掲載さていてもらいます。

 

はじめまして。5代目店主の中山実津雄です (株)いろはや~黎明期~

中山実津雄

 

はじめまして。中山実津雄です。株式会社いろはやの5代目の社長として、現在小売業中心に長崎県で事業を営んでおります。創業166年変わらないもの。それは「人」が会社の真ん中にあるという事。いつの時代も人が中心。人がブランド。この想いでこれまで。そしてこれからもやっていきたいと思います。

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(株)いろはや 島原エリアのメンバー

「明日仕事にはやくいきたい」そんな企業文化を大切にしたい。

いいスタッフがいるお店はたくさんあります。内装が立派な良いお店もたくさんあります。しかしいいチームのお店はそう多くありません。私たちが目指すもの。それはいいスタッフ。いいお店。そしてすばらしいチームとしてお客様に最高の体験価値を提供したい。ここに磨きをかけていきたい。そう思っています。

株式会社いろはやは安政5年幕末の時代が大きく動き始めた時に足袋屋として創業しました。

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昔の借用書

創業者は中山松之翁。とても優しい表情が特徴的で穏やかな経営者だったそうです。

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創業者:中山松之翁

幕末。時代が大きく動いた時期。この時の長崎は大きな歴史のステージの上に立っていました。誰もが長崎に憧れ志士が集積し、皆が長崎を目指していた時代です。まさに長崎は時代の最先端にいました。

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当時のあいさつ文

その後文明開花から大正時代にいろはやのの経営を担ったのが中山定之翁。
定之さんは表情からわかるようにとても厳しい人でした。朝早くから遅くまで人一倍よく働いた人です。日本が坂の上の雲を目指して追いつけ追い越せ、いろんなものを内包しながら、突き進んだ時代でもありました。

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2代目店主:中山定之翁

当時雨の日に外出する際にはマントを使用していたそうです。またこの時期に定之さんを支えたのが妻であった中山テイさん。淡路島出身で貿易商のご令嬢だったそうで銀行業も創業したそうです。

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中山テイさん

定之さんはマントが主流だった時代に洋傘を仕入れして大ヒットしたと言う記録が残っています。先見性のある経営判断だったと思います。ほかにも厳しい環境下の中でも着実に業績をアップさせてきました。

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マント

その後にどの対戦を経て3代目店主、中山宇八さんが後を継ぎました。宇八さんはとても厳しい人ですが、とても人情味があった人で、僕のおじいちゃんに当たります。いつもお土産をたくさん買ってきてとても優しい人でした。

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3代目店主 中山宇八氏

当時扱っていたものは実用衣料。メリヤスや肌着がメイン商材で商いを続けていました。

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当時扱っていたメリヤス肌着。

時代は大正から昭和へ。日清戦争、日露戦争を経て日本が国際社会に大きく羽ばたく時代と重なります。いろはやもそんな時代の中に愚直に商いを続けてまいりました。

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当時のいろはやの画像(いまのいろはや本店 島原市堀町)
中央が3代目店主 中山宇八氏。

3代目店主中山宇八は商売にはとても厳しく、朝は6時から夜は10時まで店を開けておけ。とにかく体を動かせ。飯は立って食べろと必死に店を経営していました。

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洋傘が売れていたころのいろはや(大正初期)

「商売は大きくするな。大きくすると風船と一緒で内側から破裂するぞ」これは3代目宇八氏の残した言葉です。常に自分が目の行き届く範囲での商いをしろ。今でもそうたしなめられている気がします。大きくするのは必ずしもいいことばかりではない。これは弊社の経営方針である「拡大よりも永続」という商売方針に従って今なお生きている教訓です。

 

こんな感じで、いろはやの歴史とともに社長の考えをおりませながら時々更新しています。

いろはやってこんな会社なんだと知っていただければという思いで今回ブログに掲載さていていただきました。

現在、第6話まで書いているようです。

もしご興味があられたら下のURLをクリックして記事を読んでいただければ幸いです👀

https://note.com/irohaya1688/